Someone else, somewhere else:他の誰か、他のどこか 

他の誰かなんていないし、
他のどこか、なんてのも存在しない。

私の身体の目を通じて見えるイメージは
全て私の心の象徴だ。


問題は外側ではなく、常に内側(自分)だし
そもそも その問題は、本当は存在していない。


自分の見かた・感じ方を変えれば
外側(と思ってる)世界も変わる。


私たちは 最初から 離れてなんていない。
分離していない。



   *-------*-------*



あの人の話を誰かにすると、大抵の人は、
私に同情をしてくれるような、そして
あの人のことをちょっと批判めいたコメントをくれる。


でも、自分では、ずっと前から気づいていた。

あの人の抱える問題は、私の問題である、
ということを。
あの人の問題が根深いならば、それは私の問題も根深い
ということを。

ここで言う問題とは、表面的に起こってることではなく
本質的なこと。
掘り下げていくと、問題とみえるソレ自体、同じことだったりする。


だから、私が私の問題を解決しなければ
あの人も変わらない。


この事を、心の深い深いところで受け入れるのに
すごく時間がかかった。
わかってるつもりでも、エゴは反抗し
納得はしなかった。



   *-------*-------*



最近、あの人から
「いつ なんどきも、僕たちは一緒なんだよ。」
とメールが来た。
(ちなみに、この4ヶ月、日本不在にしてこの言葉、^-^;)


それを読んだ時、先述したことが、
走馬灯のように、私の中に駆け巡った。



今までエゴは、この真実に抵抗していた。
"だってあの人ってば○○だし""だって私/私達は○○だし。。"とか。
肉体であることの重要性をエゴはいつも突きつけてきた。
そんなの全部、幻想・トリックなのに。


でも、そこに光が差していくような、
まさに心が解放され、癒されるような、
不思議な衝撃を感じた。
あの人のメッセージが、ハートに浸透した。



靜さんに、
「あなたが変わる時、相手も変わる。」
「あなた達の繋がりって不思議よね。
二人の間に物理的距離とかって、全く関係ないのよ。
互いにそれを本当に感じれる間柄なのよ。」
って、言われたことも、同時に思い出した。
その時は、その位のことはわかってるワ~なんて
思っていたけれど、認識の度合いが低かったように思う。



あの人は、私の"特別"なんかじゃないってことも
理解しつつある。
(奇跡のコースには「特別な関係」「神聖な関係」という
学びがある。この話は、またいつか機会があった時に。。。)

身体としてのあの人にアイデンティティーを持たすか
スピリットのあの人にアイデンティティーを持たすのか・・・

あの人との関係は、コースの実践に本当に役立っている。





他の誰かなんていないし、
他のどこか、なんてのも存在しない。



肉体/物理的距離を超えたところで
私たちは確かに一緒だ。 いつ なんどきも。
----- そのことを、改めてはっきり認識した。


エゴの衣がまた一つ脱げたと感じる出来事だった。







スポンサーサイト